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July 29, 2007

ネイガウスのピアノ講義

という本を買ってみました。

ゲンリヒ・ネイガウス自身によるピアノ演奏本も以前出ていて大変ためになる本でしたが、これはエレーナ・リヒテルという人が書いた本です。彼女はスヴャトスラフと同様親がドイツ系のようですが、彼とは関係ないようです(もちろん二人ともネイガウスの弟子ですから、面識はあったに違いないのですが)。

ネイガウスのピアノ講義
ネイガウスのピアノ講義エレーナ・リヒテル 森松 皓子


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ネイガウス金言集というのが最初に箇条書きで書いてあって、ここからして面白いです。

とりあえず今の私の状態に役立ちそうなものを挙げてみると:

「非常に速く、不鮮明に弾くとします。すると全ては一緒くたになります。メトロノームを手にしなさい。悲しい産物ではあるけれど、この際メトロノームが役に立ちます。」

→当たり前のことを言っていますが、やっぱりメトロノーム重要そうです。客観化する手段の一つとして使えるというわけですね。

「テンポに自信がないときには、16分音符の動きに従って、つまり音価の短い音符によって確かめながら、必要なテンポを見つけることができます。」

→これもおっしゃるとおりです。

「不十分なレガート、これは技術の欠如です。」

→バッハのフーガでは本当にこれ(指によるレガート)が必要だと痛感しているところです。ちょっとペダルに頼りすぎていました。

「バッハとモーツァルトはアーティキュレーションの多様さを利用しました。ここではアーティキュレーションは重要な役割を担っています。多くのことは時代と楽器に依存します。」

→これはレッスンで全く同じことを言われました。モーツァルトではスラーやスタッカートの指示はきわめて重要なので、おろそかにしてはいけないということです。

「君はただピアノを弾いているだけであって、ドビュッシーになっていない。もし感覚能力が充分でないときには、きちんと計算の上で弾く必要があるよ。」

→そのとおりです。感覚能力のない普通の大人である私は計算づくで譜面に相対しなければいけません^^;。

「ブゾーニが演奏したとき、友人、知人たちは、洗練された音だといいました。彼は非常に大きな音で演奏しました、そしてそれと同時に、鍵盤を叩きはしませんでした。」

→ロシアンピアニズム系らしい発言だと思います。アファナシエフの演奏でこれを強く感じました。彼の音量は、演奏が与える知的で精神的な印象とちょっと違って実際にホールで聴くとかなり大きいですが、非常に洗練されており、乱暴さや武骨さといったものは全く感じられません。

「思想が明白でないと、出たとこ勝負で弾いてしまって、あるべきようには弾いていません。」

→感覚能力と計算の話と同様です。

「いやあ、こんなふうに振る舞うことが、ベートーヴェンに敬服しているという、顕著な例です。あるかなり有名なヴァイオリニストは、毎朝ベートーヴェンの作品を演奏する前に「聖なるルートヴィヒ、お許しあれ、私が自分の罪深い手で御身に触れていることを」と、繰り返しました。このような敬虔さのかけらすらない演奏家がよく見られます。このような気持ちは本当に必要であるにもかかわらずです。」

→本当におっしゃるとおりでございます。作曲家や曲を神格化しているのではなく、名曲はやはり丁寧に扱いたいものです。たとえば、シューベルトのピアノソナタD.960が易しい曲だなどと言っているのを聞くと私はお堅いのでその無神経さにガマンがなりません(笑)。

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